東京・神奈川 - 1
1988/07/30

JR五日市線 103系
拝島駅
この旅行に出かけるちょっと前くらいから鶴見線を走る旧型国電、クモハ12形を見てみたいと思っていたのですが、埼玉から鶴見はかなり遠い所にあるイメージで、なかなか思い切りがつきませんでした。

しかし、夏休みも中盤にさしかかろうかと言う時期になって親から普通の36mmフィルムのコンパクトカメラを買ってもらったのでついに行く決心をしました。

これが思わぬ思い違いから大変な事に。。。

JR青梅線 103系
拝島駅
まずは、高麗川経由で拝島に行き、青梅線・五日市線を撮影。
折角なので奥多摩まで行ってみる事にしました。

当時は五日市・青梅線は初期型の103系の独壇場で、一目ライトの初期型103系も混じってのんびり走っていました。
当時の原付にとっては、何の面白みも無いどこにでも走っている電車だったのですが、今見てみるとなかなか味わい深いですね。。。
行先表示幕の手書きっぽいフォントも昔の国電風でなかなかいい味を出しています。

JR青梅線 103系
奥多摩駅
奥多摩へは特に目的があったわけではなく、ただ乗車してみたかっただけなので、奥多摩駅に到着したらそのままとんぼ返りです。

そのまま立川まで戻ってから、中央線で八王子へ。

JR横浜線 103系
八王子駅
八王子からはこれもまだ乗ったことの無かった横浜線に乗って東神奈川へ、そして東海道線で次の目的地、鶴見へ。

横浜線も、当時はウグイス色の103系が走っていて、誤乗防止か前面には「横浜線」とでっかいHMがかけてありました。

この頃、山手線や中央線(中央線はもう少し前)から余剰転出した103系が首都圏外縁の各路線に配置されて走り始めているのですが、その時に配置された色によって、殆ど車両がステンレス車両に入れ替わった現在においても、その路線のカラーとして路線図に記入されているのは興味深いです。

JR鶴見線 101系
鶴見駅
さて、鶴見に到着しました。

列車到着までの間駅員と話していると、駅員さんが各駅の硬券を分けてくれました。




JR鶴見線 クモハ12形
鶴見駅
当時の鶴見線は、高性能国電の先駆けとなった101系の最後の牙城でした。

ホームに上がった時に止まっていたのも扇町行きの101系でした。後述する通り、今回の目的となる旧型国電クモハ12形は大川支線へ入線する列車のみ割り当てられている為、この電車はパス。次にやってくる大川行きを待ちます。

なぜ大川行きの列車のみ旧型国電なのかと言うと、大川支線は接続駅である武蔵白石駅の構内のカーブがきつく、20m級の車両が入線出来ないため、17mの旧型国電、クモハ12形しか入線できなかったからです。

カーブのきつさ故、生き残っていた旧型国電ですが、当時でもここと、小野田線の本山支線しか残っておらず、それはそれは貴重な電車と言う事になります。

JR鶴見線 クモハ12形の運転席(非貫通側)
鶴見駅
暫くすると戦国武将のようないかつい車体のクモハ12形が入線してきました。

現在では205系が走って、小奇麗になってきていますが当時はいかにも場末と言った雰囲気をかもし出していました。
特に上の写真だけ見ると昭和30年くらいの写真なんじゃないかと勘違いしそうなほどです

カメラを構えていると、車掌さんは慣れてるのか、外へ出てポーズをとってくれました。
そして運転席の写真も一枚撮らせて貰いました。

。。。なのに、肝心なところで、このブレっぷりは何!?
2枚くらいづつ撮って置けばよかったと後悔。。。

数年後、大胆に線形を改良して、武蔵白石駅を通過扱いとしてカーブをゆるくする事によって20m級車両が入線できるようになった為、この車両も引退してしまいました。

JR鶴見線 クモハ12形
大川駅
初めて乗る旧型国電に揺られて、終点の大川に到着。
とは言っても吊掛け駆動車は地元の越生線でまだまだ現役だったので、それ程の新鮮さは無かったのですが。。。^^;)
反対側はご覧の通り貫通扉が付いています。これは元々こちら側には運転席が設置されておらず、この路線で単行運転をするに当たって座席を撤去して運転席を取り付けたため、このような形状になっているのです。

列車はすぐに折り返しとなる為、写真だけ撮ってそのまま武蔵白石駅まで戻り、もう一つの名物スポット、海芝浦駅に向かいます。


JR鶴見線 101系
浅野駅
海芝浦駅へは、二つ手前の浅野駅から分岐する芝浦支線に乗って行きます。
海芝浦駅は降りれない駅として知っている人にはあまりに有名すぎる駅です。

なぜかと言うと、改札を出るとそこが東芝の敷地になっていて、一般の人の出入りが出来ないようになっている上、反対側は運河に面していて線路越しに外に出る事も不可能になっているからです。

是非とも詳細を見てみたかったのですが、列車は3分程度で折り返してしまう上に、次の列車は2時間後と言うことで、2時間もホームから身動きが取れなくなるのはご勘弁なので、脳内で足跡だけ残してここもとんぼ返りで戻る事になりました。

そのせいで写真は一枚も撮っていません。

JR南武支線 101系
浜川崎駅
その後、再度浅野駅に戻り、扇町行きの電車に乗り換えて、浜川崎駅で降ります。
ここから、尻手行きの南武支線に乗り換えます。



浜川崎駅は、乗換駅となっているものの駅が繋がっておらず、一旦改札を出てからの乗り換えになります。

同じJRなのに乗り継ぎ切符も無く、双方無人駅のうえ、駅前は裏寂れた感じで、とても東京から数十分の場所に居るとは思えない雰囲気が有ります。

走っているのは、こちらも101系。101系では最初で最後かと思われる、塗り分け塗装をまとっています。

そして、これもブレてしまってます。。。

横浜市交通局 1000形
上永谷駅
尻手から南武線で川崎に出て、東海道線に乗り換え、更に横浜から市営地下鉄に乗り換えです。ここもまだ訪れた事が無かった路線です。
事前に上永谷の駅が地上にある事を調べていたので、上永谷で下車。


横浜市交通局 2000形
上永谷駅
当時走ってた市営地下鉄の車両、1000形と2000形を首尾よく納めて、そのまま戸塚駅へ。

湘南モノレール 400形
大船駅
戸塚駅からは横須賀線に乗り、大船駅へ。

懸垂式モノレールの湘南モノレールを写真に納めて、試しに湘南江の島駅まで往復。



江ノ電に乗り換えるコースも考えたのですが、当時乗り換えルートが分からず、迷うのが嫌だったので、そのままとんぼ返りのコースにしたのでした。

で、見事に電車酔いしてしまいました。。。
意外と揺れるんですね。


相模鉄道 旧7000系
横浜駅
そして、大船からは再び東海道線で横浜に戻ってきました。



横浜では、相模鉄道線の車両を写し、京浜急行の写真も撮る事にしました。

京浜急行を写す為、相鉄線は写真のみです。

相模鉄道 新6000系
横浜駅
この新6000系もなくなってしまったんですね。。。
当時走っていた車両のうち、旧6000系以前の系列は写せませんでしたが、これももう少し粘って待っていればよかったかなぁ、と今になって後悔です。。。

相模鉄道 新7000系
横浜駅
相鉄線といえば、客席窓がパワーウィンドウとなっている車両がある事で有名です。

近年では冷房化が進み、車内では殆ど窓を開けなくなってしまったので、今ではあまり使われていないのでしょうか。。。

ちなみに、原付的には、いくら冷暖房が効いているとはいえ、窓が開けなくなってから車内がとみに臭くなってきていると思います。
たまには空気の入れ替えを兼ねて窓を開けるのもよいと思うんですけどねぇ。。。
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