東京・神奈川 - 2
1988/07/30〜31

京浜急行電鉄 1000形
横浜駅
相鉄の写真を撮り終えて、今度は京浜急行の横浜駅へ。

京浜急行はラッシュ時間帯だった事もあり、次々と列車が入ってきます。

その中から、各形式一枚ずつ写真に納めました。

まずは京浜急行のかつての顔、1000形です。

京浜急行電鉄 800形
横浜駅
次に「だるま」の愛称を持っていた800形。

1500形を作るまでは、当時の役員に車両作りに厳格な主張を持っている人がいて、前照灯は必ず上部に一つ、客用扉は片引戸、という風に決めていて、それが京浜急行の車両に脈々と引き継がれて来ていたというウワサがあります。
(Wikipediaに出ていました)

京浜急行電鉄 1500形
横浜駅
流石にやや時代遅れとなっている事を痛感していたのか、その方が退任すると次に作った車両から、下部に2個の前照灯と両開き扉を採用するようになったらしいです。

と言うことで1500形です。
1500形以降は旧タイプの車両が一切作られていないところを見ると、その話もあながちウソではないのかも知れませんね。

個人的にはそれ以前の車両も個性があって好きなんですけどねぇ。。。

京浜急行電鉄 2000形
横浜駅駅
そしてかつての快速特急専用車両として君臨していた2000形です。
関東では特急料金無しで乗れるクロスシートの専用列車として有名でしたが、現在では後任の2100形にバトンを渡して通勤車に格下げされてしまいました。

京浜急行は横浜市内に入ると比較的線形の悪い所が多く、快速特急の列車は横須賀線に対抗する為、目一杯加速してはカーブ手前でブレーキをかけてカーブを抜けると再び目一杯加速すると言ったような感じで、乗っていて結構楽しいです。

かつてTBSのアナウンサーをしていたロンちゃん、こと吉村光夫さんは京浜急行の大ファンでしたが、なんだかよく分かる気がします。

京浜急行電鉄 700形
横浜駅
さて、700形です。
京浜急行の車両は一両当たり18mで、一般的な関東の通勤車両に比べて2mほど短くなっています。そのせいで12両編成の通勤列車などを走らせているのですが、乗降時間を短縮する為に扉を増やしたのが700形です。(後の800形も)
関東では18mで4扉の車両は京浜急行にしかなかったと思います。

そして現在では700形は全て引退、一部車両が高松琴平電鉄で余生を過ごしています。

それはともかく、運転席の窓にタオルを肩から下げた男性が映っていますね。
当初これは心霊写真の類かと思って真剣に怖かったのですが今改めて見直してみると多分線路脇の広告が映りこんだものっぽいですね。

JR EF60 アメリカントレイン
品川駅
さて、その京浜急行に乗って品川まで戻ってきました。

品川では、アメリカとの親善活動として各地を旅する事になったEF60率いるアメリカントレインが止まっていました。
既に営業を終了した後だったので中は覗けませんでしたが、TVでしきりにCMをやっていたのを覚えています。

何でも沖縄まで運んで展示したこともあるとか。

JR 12系客車 お座敷列車
品川駅
また別のホームには12系客車によるその名も「お座敷列車」が停車していました。

この当時はジョイフルトレイン華やかりし頃で、余剰となった客車列車を改造して作ったお座敷列車などが全国でたくさん作られた時代でした。

まだ子供だったので、乗った事のあるジョイフルトレインは「パノラマエクスプレスアルプス」しかありません。

東京急行電鉄 目蒲線 7200系
目黒駅
その後山手線で目黒駅で降り、目蒲線の写真を撮りに行きました。

目蒲線も今では都営三田線、東京メトロ南北線と直通運転をして、この頭端式ホームも今では見られないものとなってしまいました。

ここではダイヤモンド・カットと呼ばれるデザインを持った7200系の写真のみを撮って次の目的地、渋谷へと向かいます。

東京急行電鉄 東横線 8000系
渋谷駅
と言うことで、渋谷駅に到着しました。
これまた埼玉県西部の住民としては今のところなじみの薄い東急東横線の写真を撮らせて貰いました。

時間は既に22時近くなっています。

まずは8000系をば。この車両も徐々に数を減らしています。

東京急行電鉄 東横線 9000系
渋谷駅
そして、当時最新鋭だった9000系を。

その後改札で駅員(当時はまだ自動改札が無く、駅員が検札を行っていた)にヒマを見つけては話し掛けて暫く談笑。
しかし、今となって考えれば場所は東急の大ターミナル、渋谷。そこの改札とあっては邪魔者以外の何者でもなく、それでも気さくに対応してくれた駅員さんに感謝すると共に空気の読めない当時の原付に反省、、、です。

でも、駅員も小学生が22時を回ってなお、うろついているのを心配したのか、面倒なので追い払いたかったのか「終電大丈夫なの?」と聞いてきました。
場の読めない原付は「全然大丈夫ですよ」と答えて更に少し話していたのですが、「そろそろ帰った方がいいよ」と言うのでお礼を言ってその場を後にしました。

東京急行電鉄 世田谷線 70形
下高井戸駅
今となってはこんな時間にウロウロしていたら家出人扱いで警察に差し出されているかもしれませんね。

しかし、原付は世田谷線を写す為に更に新宿から京王線に乗って下高井戸まで向かうのでした。

下高井戸駅では今とは全然違う古めかしいホームにこれまた古めかしい電車が止まっていました。

70形ですね。前照灯がまだ上部に付いていた頃です。

京王帝都電鉄 京王線 5000系
新宿駅
世田谷線は写真のみ撮影して、また新宿に戻ってきました。

そしてこれまた現存しない京王線の5000系を写真に納めて、そろそろ帰りのコースです。

時間は23時30分を回っていたと思います。。。

東武鉄道 東上線 8000系
志木駅
で、唐突に朝の志木駅での東武東上線8000系です。

なぜかと言うと。。。

ここまで読んで下さった方で勘のいい方は既にピンときていると思いますが、原付は池袋発の東上線終電の時間をろくに確認しないでいたため24時を過ぎても帰れると思い込んでいたのでした。

その結果は案の定と言うか、池袋に到着したら残っている列車は志木行きと成増行きのみ。。。
しまった〜!と思っても時既に遅し。

仕方が無いので志木駅まで乗り、駅で降りて駅員に相談した所、交番で話して欲しい、といわれたので交番へ行って事情を話した所、まずは家に電話してみるとの事。
この頃原付はおばあちゃんに世話になっていたので、連絡先におばあちゃんの家の電話を伝えました。

東武鉄道 東上線 9000系
志木駅
当然の事ながら携帯電話も普及していない時代、12時過ぎても孫が帰ってこない上、警察からの電話と言うことで、相当心配したそうです(公衆電話からでも一言入れておけばよかった。。。)

お巡りさんが、タクシーで帰すから到着したら代金を払ってあげて欲しい、と電話口で話しているのが聞こえます。

しかしながらおばあちゃんは年金で細々と生活を支えている身ゆえ、タクシー代を捻出する事など到底出来ず、何とか一日預かって欲しい、と頼み込んだようで、渋々翌朝まで預かってもらえる事になりました。。。

交番では寝泊りできないので、地元の警察署まで連れて行かれました。パトカーで搬送されたのですが、全然ことの重大さを分かっていなかった原付は「○○線に乗った」とか連れて行ってくれたお巡りさんに嬉々として話して「子供がこんな時間までウロついていたらダメだよ」と怒られてしまいました。

営団地下鉄 有楽町線 7000系
志木駅
警察署に到着したら入口付近のベンチと毛布を与えられ「ここで休みなさい」と言われました。安心したのかその後すぐに眠り付いてしまいました。

翌朝お巡りさんに起こされ「あんまり親に心配かけるなよ」と注意されてから釈放?となったのですが、結局帰りの電車も写真を撮っています。

あまりの能天気さに呆れるばかりです。。。



(終わり)
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